十八金製 風鈴「貴婦人」

 

十八金製 風鈴「貴婦人」

十八金製 風鈴「貴婦人」-2

 

 

十八金製風鈴 イメージ動画

You need to a flashplayer enabled browser to view this YouTube video

 

十八金製風鈴 動画 風流編

You need to a flashplayer enabled browser to view this YouTube video

 

十八金製風鈴 動画 製作工程編

You need to a flashplayer enabled browser to view this YouTube video

 

 

金の歴史

古代エジプト、メソポタミア、インド、中国といった古代文明が発達した地域が発生するのは紀元前4000年ごろからで、諸金属のうち金、銀、銅がもっとも早く工芸品として用いられましたが、これらは天然の状態でも採取加工が可能であったからであります。とくに金はつねに輝きを保ち、また加工しやすいこともあって、古来もっとも貴重な素材とされていました。歴史上最も有名だと思われるのがツタンカーメンの黄金のマスクだと思いますが、旧世界で最も早くから黄金文化を発達させたのはエジプトと言われています。

そして、古代・中世を通じて、アフリカは重要な黄金の供給源であり、アジアがそれに続きました。ヨーロッパは金資源に乏しかったといわれています。莫大な量の黄金が権力者達によって蓄積され、王朝や国家の興亡とともに移動をしました。

金の『さんぜんたる輝き』と『不変の美しさ』は、本質的には金固有の物性にすぎないのですが、古代より人類に不思議な魅力を与えてきました。

 

金の性質・用途

『GOLD』という言葉は、ゲルマン語の『Gulth』を語源としていて、おおむね黄色ないしキラキラ輝くという意味を持ちます。元素記号『AU』は、ラテン語の『aurum』(赤)に由来しています。金は普通では錆びず、きわめて化学的に安定しているため、古代より不変の輝きを持つものとして尊ばれ、また金属状態の自然金として産出しやすいものといわれています。金は金属の中で最も展延性に富む金属です。

例えば、1グラムの金を線に加工した場合、直径4.5ミクロン(1ミクロンは1000分の1ミリ)に、また箔に加工した場合は、0.1ミクロンの厚みまで加工でき、面積にして5000平方センチメートルまで広げられることができます。これまでに、人類の手によって採掘された金の量は、約10万トンといわれていて、容積にすると代々木にあるオリンピックプール2杯分にしかならないそうです。

そして地球上に残された埋蔵量はその半分の5万トン弱といわれています。この希少性こそが金の資産価値だと考えます。そして価値の保存・交換手段として金が長く使われてきた所以でもあると思います。人類が採掘した金の総量約10万トンのうち8割は、なんらかの形で現存するといわれています。これがまさに石油と対照的であり、金の不滅性を如実に示す証ともいわれています。用途としては、国家的な金貨から個人向けの流通金貨はもとより、文化遺産、宝飾工芸品、エレクトロニクスの重要部品、医療、その他の産業に不可欠なものとして使用されています。さらには先端技術への応用から日常生活に至るまで、英知と権力を秘めた神秘的な魅力は、歴史がそれを証明しているのだと思います。

 

金工の歴史(日本)

金工とは、金属に細工を施す美術工芸のことをいいます。日本における金工の歴史は古く、弥生時代にはすでに金属器が大陸から伝えられ、銅鋤、銅鏡、銅剣などの金属製品が作られるようになりました。古墳、飛鳥時代になると、仏教の伝来と共に仏像や仏具などの金属製作技術も伝わりました。平安時代になると密教が盛んとなり、密教用の仏具が作られますが、技術は精巧さを増し、宇治平等院釣鐘の飛天模様など、日本的な美しさを表現した作品が作られました。鎌倉時代になると武器の製造が自由となり、時代の要求で刀剣は著しく進歩し、戦場での晴れ姿を彩る衣装として、彫金技法を駆使した立体的な彫りの深い意匠が流行し、武士の甲冑が華やかで装飾的になりました。室町時代になると、対外貿易や領国の経済発展を目指して、鉱山開発が各地で行われたため、鉱産物が豊富となり、金属製生活用具(鍋・釜など)が多く生産されるようになり、茶の湯の釜などが作られました。安土・桃山時代になると、城郭建築に伴う建築装飾金物が盛んとなりました。大建築の需要に答えて飾り金具の技法と意匠が発達しました。江戸時代前期になると、金工の技術は建築金具などの需要が増大したため、京都や江戸で進歩したといわれています。

人々の交流が盛んとなり、地方色を発揮した製品も次々に生まれました。南部(岩手)での鋳物作りや、肥後細川家に伝わる金銀の象嵌技法で鉄砲や刀の鐔に加飾をしたり、貨幣の鋳造も行われるようになりました。後期になると、質よりも量的な発展が見られるようになり、日用品としての金属製品は広く普及していきました。

明治時代以降になりますと、廃刀令が出されたため、金工の需要は大きく変わりました。

刀装具関係の工匠、甲冑師などは他の職を求めることになりました。大正時代以降は、動力機械が普及し、鍛造及び成形技術が大いに進歩し、鍛金分野でのヘラ絞り加工の導入など、材質や製品の形状にあわせて種々の加工技術を使い分ける時代となったのです。

 

風鈴の歴史 1

風鈴の始まりは、古代インドの仏寺で塔廟から吊り下げて魔除けとして用いられた『風鐸』からといわれています。魏の時代(386~534年)、古代インドに巡礼した中国僧侶たちの記録によると、仏教の中心地であった北魏の洛陽では、この風鐸が塔に荘厳さを生み出すのに重要な役割を果たしたそうです。ある寺院の九重の塔には5400個もの風鐸が掛けられていて、荘厳に鳴り響いていたそうです。そもそも風鐸を仏寺の屋根や塔に吊り下げた目的は、魔除けの意味もあったそうですが、寺の塔廟や寺院空間の荘厳感を演出することでした。法隆寺五重塔の風鐸は、日本に伝わった最古の例とされていて、現在でも日本各地の仏教寺院の屋根で風鐸を見ることができます。この風鐸の音色は僧侶が持つ『錫杖』と呼ばれる杖の音に似ているといわれています。古代インドでは、魔除けや毒虫除けの音色とされていて、僧侶が山中を歩くときに持ち歩いた『錫杖』を仏教楽器と呼んでいたそうです。

 

風鈴の歴史 2

江戸時代の様々な風物や事項の起源などをまとめた書物として知られる『喜遊笑覧』によりますと、風鈴が一般化したきっかけは、浄土宗開祖、法然がこよなく風鈴を愛していたことから始まるといわれております。法然の言葉で、『風鈴は風を知るためのものにて、音をもてあそぶ具にはあらず』とあります。ここでいう『風』とは、極楽浄土で吹く風を意味し、風鈴は極楽の風の響きを伝えて池の水音を連想させる存在であったそうです。風鈴は、家々の屋根のひさしに下げられるようになったことで、『えんば』、『えん鈴』と呼ばれるようになったそうです。また、風の様子を調べる目的の音具として、『占風鐸』『風琴』という名称も生まれましたが、『風琴』という名称は一般には浸透せず現在では、オルガンやアコーディオンのことを風琴と呼んでいます。1764年頃から、江戸で流行した『風鈴蕎麦売り』がきっかけで、一般社会で風鈴が広く浸透するようになりました。『風鈴蕎麦』とは、蕎麦屋の屋台に1~2個の鉄製風鈴を吊るして蕎麦を売り歩いたことで話題を呼び、江戸の町に風鈴の音が響き渡って蕎麦屋が繁盛したそうです。現代の(今は聞かなくなりましたが・)豆腐屋のラッパのように、合図として使われていたと考えられています。極楽浄土の風の音色とされていた風鈴の価値は、時代と共に大きく変化をしていきました。

 

素材解説(十八金の特殊配合)

金合金で金の含有量が75%あるものを十八金と呼びます。工業用製品やジュエリー、工芸品ではよく合金にし用いられます。金のもつ高耐食性という信頼性に、主に強さを加味するのが目的ですが、工業用には、用途に応じた特性を与えるため、いろいろな元素を添加しています。また、宝飾品の場合は、第一に美しい色調が要求されるため添加元素の量も種類も、ある程度は限られたものになります。ジュエリーとして一番多く用いられているのは、十八金のイエロー系と呼ばれる金合金ですが、他にもレッド系、ピンク系、ブラック系と、性質や用途は様々あります。なかでも、作家である二代目・上川宗照が独自に開発をした特殊配合は、秘伝のためご紹介できませんが、風鈴や仏具(おりん)といった音を奏でる製品で最も重要とされる余韻の長さと、素材の加工性を加味したハイクオリティーな素材であります。美しい音色と心の平安をお届けするために開発された画期的な素材であります。

 

本体工程解説

一枚の十八金板(厚さ約1ミリ)を金切りバサミで丸切りをし、焼鈍してから成形します。金属の工作法で伝統技法である鍛金技術を駆使して作業を行います。18金板を金槌を使用しながら道具にあわせて叩いて絞り込み、硬くなったら焼鈍をして板を柔化させます。

目的の形状や寸法になるまで何千、何万回と叩いて成形をします。形ができると次に挽物加工をします。付目方を調整し、厚みを目的の厚さまで手作業により削り出していきます。

バイトで削られた本体の表面を砥ぎ磨き加工をしてなめらかにします。挽物加工が終わったら最後にバフ研磨加工をします。本体が均一で鏡面になるまで、手作業で研磨していきます。本体が仕上がったら、表面に加飾をします。彫金法の一つで片切り彫りと呼ばれる技法を駆使して、下絵と同じ位置に鏨で彫ります。

 

短冊・ひも工程解説

一枚の十八金板を金槌で叩いて薄く延ばしていきます。目的の寸法になったら金切りバサミで形をつくります。短冊の四辺を“トーチ”と呼ばれる宝飾用ガスバーナーで溶かし、和紙をイメージしたオリジナルの十八金短冊をつくります。

ひも(分銅と短冊をつなぐ線)を製作するのに必要なものは、金線3本で0.2ミリの厚みのものです。3本の金線を“三つ編み”して、指定サイズに切断をし、金ろう付けをして分銅と短冊をつなぎます。短冊から受ける風を分銅に伝えるには、チェーンよりも線の方が良いとのご指摘を受け、“三つ編み”をすることでより強度が増し、デザイン的にも洗練された仕上がりとなっています。

 

ガラス・鉄製風鈴の特色

江戸時代までの風鈴は鉄製のものが多く存在します。鉄製風鈴で有名な南部風鈴は、南部藩の鉄器製造の過程で作られるようになります。盛岡地域の南部鉄器の生産は、1658年頃から始まりました。成形方法は、製品の形の空洞に溶けた金属(鉄)を流し込み、固まらせるといった鋳造技法です。ガラス風鈴は明治の遣欧使節のおみやげの1つで、近代的なガラス作りの製法があって始まったといわれています。室町時代末期にオランダ人がガラス製造技術を伝え、18世紀に『ビードロ』を作る店が登場して、ビードロ製の猪口や花瓶の生産が行われていました。ガラスの風鈴売りの登場は、明治になってからで、暑い夏の間だけ軒に風鈴を下げて涼を得るという、風鈴に『涼しさ』のイメージを与えました。昭和の風物詩である、金魚売りのリアカーにガラス風鈴が下がっていて、かき氷と共に真夏に涼を感じるための風鈴の音色もまた現代人にとっての心の安らぎにつながっているのだと思います。

 

十八金風鈴の特色

日本の伝統文化の中に登場する様々な音具は、世界でも類を見ないほど豊かで変化に富んでいると思います。音具の多くは、自然界の音の模倣といわれ、特に風や水の音と結びつきの深いものが多いと思います。私達は、自然の響きに強い関心を示し、芸術作品や楽器、音楽に響きを取り入れていくことが大切であると考えます。十八金風鈴の最大の特徴は、実物そのものに世界共通の価値があるということだと思います。十八金風鈴は、その希少性故に普遍的価値を保ち続けていると共に、一家の家宝としてもまた、美しい音色とともに心の平安を感じて頂けるよう丹精を込めて作り上げました。

 

元のページに戻る